料の量良い意味でも悪い意味でも状況は刻々と変化する。 最近とくにこういう場面に遭遇することが続く 仕事をする時の熱意や発想にいたるまでのプロセスは 根本的に仕事量として換算しないし、自分の引出しから その問いにあった道具も提案しない。 沢山の引出しの中から答えを探しあてるのはとても 素っ気ないことだな、とかんじることがあるからだ。
ディティールでも見過ごすことはできない。 たとえ他人が気がつかなくても、自分は気づいて いるのだからそれは自分にとって満足に近い状態に 置き換えることができるからである。 柱のピッチが230ミリで描いたときのプロポーションと、 235ミリで描いたときの質感、隙間が6ミリではなく 4ミリ切るくらい、、とお願いしている自分。。 何が自分の仕事量として存在しているのか きちんと定義しておく必要があると感じる。 ようするにどのくらいの分量でみせてバランスを 定義していくか . . という作業の繰り返しである。 |