料の量

良い意味でも悪い意味でも状況は刻々と変化する。

最近とくにこういう場面に遭遇することが続く

仕事をする時の熱意や発想にいたるまでのプロセスは

根本的に仕事量として換算しないし、自分の引出しから

その問いにあった道具も提案しない。

沢山の引出しの中から答えを探しあてるのはとても

素っ気ないことだな、とかんじることがあるからだ。


やはり、ひとつひとつの事はどんなちいさな

ディティールでも見過ごすことはできない。

たとえ他人が気がつかなくても、自分は気づいて

いるのだからそれは自分にとって満足に近い状態に

置き換えることができるからである。

柱のピッチが230ミリで描いたときのプロポーションと、

235ミリで描いたときの質感、隙間が6ミリではなく

4ミリ切るくらい、、とお願いしている自分。。

何が自分の仕事量として存在しているのか

きちんと定義しておく必要があると感じる。

ようするにどのくらいの分量でみせてバランスを

定義していくか . . という作業の繰り返しである。

2010年04月15日 : Text by tsumac   |